2011年11月20日

ドイツ軍のガマシェン(レギンス)

 本文に入る前に、まずこの記事を翻訳したものとはいえ、転載することを快く許可してくれたアメリカのリエナクトグループであるDer Erste Zug http://www.dererstezug.com/index.htm の方々、そして原文を書くために努力した方々や、翻訳に当たって協力してくれた友人たちに心から感謝したいと思います。
 これらの協力がなければ、今私達がこの資料を共有することは出来なかったと思います。
 I would like to thank Der Erste Zug for permitting to quote this article.
Without their efforts and generosity, we would not have been able to share these valuable research.




 以下のものはDie Neue Feldpostから引用されたもので、出版者の許可も得ています。
私たちは出版者の寛大さだけでなく、この記事に貢献したすべての人に感謝したいと思います。
私たちがこの貴重な調査の結果を他の人たちと共有することが出来るのは彼らの努力によるものです。

ドイツ軍のガマシェン(レギンス)


 これらのもの(アンクルブーツとガマシェン)を彼らが得た時の評判は1943年の秋に10代の召集兵だったカール-ハインツ・ツィンマーマンの文章がもっともよく描写していることだろう。

 「私の兄弟が休暇で家に帰ってきたとき、彼は家の周りを素晴らしいブーツで歩いた。私は彼の為にそれを磨いたものだ。そのブーツは兵士と市民を区別していたもので、ドイツ兵のトレードマークだった。私が軍に入ったとき、軍は私に職人が履くような編み上げ靴とガマシェンを与えた。私たちは皆これらの周りをある種の女性用の靴を見るようにブラブラした。私たちはがっかりした。私たちはこれらのせいでトミー(イギリス人)の仲間のように見えた。」
この思いはおそらく少なからず新任の兵卒が思ったことだろう。

支給
 ガマシェンは当初、1940年8月8日の命令によってドイツ軍の装備品の製造に非常に広く使われていた革の節約の努力の1つとして導入された。この命令は、これらは後方部隊や補充部隊に支給されるように指定され、そして結局は完全にジャックブーツと置き換わると仮定されたが、ジャックブーツは最後までいくつかの部隊によって使われた。

 1944年までにアンクルブーツとガマシェンの組み合わせは陸軍のほとんどの部隊でありふれたものとなっていった。最初に兵士が戦場に持っていったものの多くは訓練のときに支給されたものに左右されていたために、いくつかの部隊ではジャックブーツとこれらの混用が見られた。しかし、いくつかの重要な‘部隊規模’の例外があり、それは写真と証拠文書によって示されている。

 A. 一定のエリート部隊はエリートの象徴として終戦の年であっても完全にジャックブーツが支給されていた。この影響に対する論評はGuy Sajerの『忘れられた兵士(原題"The Forgotten Soldier")』で見ることができる。
「最後に私たちは新しい服を支給された。その内のいくつかは私たちが知っているものとはまったく違う、上着は今日のフランス軍のようなもので、ズボンは短くつめられていて、厚いスパッツ(足首と靴の間から小石などが入るのを防ぐ為の覆い)があり、奇怪なゴルフの衣装のまねのようであった。この新しいデザインは大体が新兵に配られた。グロースドイチュラントはエリート師団として古いデザインを保ち続けた。私たちはさらに特権の現われとして新しいブーツさえもらった。」(P.354より抜粋)

 B. 駐屯地、訓練、基地、そしてその他のHinterland(後方)の兵士で、ジャックブーツを戦争の初期にもらい、またそれを履きつぶす要因のなかった者。このケースは2人の、たった数日兵役に就いた日が違う兵士のSoldbuchの比較がもっとも良く描写している。

 Herbert Ammann(ヘルベルト・アムマン)は1941年7月17日に兵役に就き、行軍靴(ジャックブーツ)を支給された。終戦の年、彼はロシアで戦っていた。彼の衣服と装備品の記録は戦闘から補給を受けるまでの間や、病院から戦場に行くまでにすべて換わっていた。1943年までに、彼の装備品にジャックブーツはもはや見られなくなった。1944年には今まで彼が履いていたジャックブーツは単なる残り物として存在していたのであろう、おそらくフィールドキッチンの蛇口の封としてか、どこかのロシアの農家の荷車のブレーキ・パッドとして。

 Melchior Krzowski(メルヒオール・クルツォヴスキー)(?)は6月24日に兵役に就き、同様にブーツを支給された。しかし、訓練を終えると彼はフランスのLa Rochelle(ラ・ロシェル)にある陸軍の駐屯地に配属された。彼の衣服や装備品は年間を通してほとんど換えられず、侵攻前[ノルマンディーなどの連合軍の反撃のことか?]の最後の記載は彼がジャックブーツを所有していたことを示している。頑固なフランスの牛を道から蹴り出したり、酔っ払ったU-boatの乗員を蹴飛ばす以外には、このブーツは使うのに問題はなかったのだと思われ、だからこそ時折の手入れだけでうまくやっていたのだろう。

 もちろん、このことだけから大まかな結論を出すのは慎重になるべきである。しかしガマシェンは兵卒にとってもっとも一般的なものであったのだろうが、ジャックブーツも依然として私たちが言ったように履かれていたのだ。
 ジャックブーツはガマシェンよりも兵たちに好まれていたので、ジャックブーツを自分で手に入れた者もいたであろう。Karl Anderssen(カール・アンデルセン)は1944年の終わりに海軍から陸軍に転属し、彼の海軍支給のジャックブーツを陸軍のPAKの砲手との賭けで失っている。
ガマシェン自体は明らかに兵卒には好まれず、彼らによって多くの良くないあだ名をつけられている。Timoschenko-Socken(ティモシェンコ[おそらくロシア人を指す?]の靴下)や、Rückzugsgamaschen(退却のガマシェン、そう呼ばれたのはこれが戦争の転換期に現れたからであろう)、Hunddecke(犬の毛布)などである。

説明
 左右のものが製造され、茶色か緑色のキャンバスで陸軍のものが作られ、空軍用は青である。これには2つの主要なデザインの種類がある。(下のイラストを参照)

ドイツ軍のガマシェン(レギンス)

 ガマシェンAは緑色のキャンバスで黒い革が付いている。バックルは黒く塗装されたローラーが付いた鉄で、ストラップの終わりは革のループである。下の補強は幅3/8インチ(約1cm)の革で作られていて、下の端に沿って縫い付けられている。ガマシェンの真ん中には幅1インチ(約2.5cm)の補強が縫い付けられている。

ドイツ軍のガマシェン(レギンス)

 ガマシェンBは同じく緑色のキャンバスでできているが、茶色の革が付いている。この例のバックルは灰色に塗装された鉄製で、ローラーは付いておらず、ストラップの終わりのループは革である。いくつかのこのタイプのガマシェンを調べたが、黒い革の付いたもの、そして金属製のストラップの終わりのループがあるものはBundeswehrのモデルに似ている。Aとの主な違いは下の補強にある:このモデルは鋭い半月型の革が前後の内側に縫い付けられている。
 たいていのガマシェンは無標であるが、調べたBタイプのものの1つには判読できないメーカーのマークと、44という年月日(?)があった。
 Bundeswehrのモデルは基本的に第二次大戦中のものと以下の例外を除けば同じである:アルミニウムの金具、すべての革が黒である点、そして色がWehrmachtのものよりも灰色な点である。さらに、今回調査した大戦中のガマシェン8組はいずれもストラップに3つしか穴が開いていなかった。典型的なBundeswehrのものは5つ穴があり、ストラップも長いものである。

着け方
 ガマシェンはどのタイプのズボンでも装着できるが、特にM43ズボンはガマシェンとともに用いるようにデザインされている。ガマシェンは常にスカラップ[おそらくBタイプの補強のことか]や補強が下に来るように着けられ、ストラップの余り(終わり)は後ろに来るようになる。

ドイツ軍のガマシェン(レギンス)

 ズボンの下(足首に近いところ)が垂れているのはズボンの股下の縫い目をボロボロにすることにつながるので、ガマシェンを着けるときは垂れたズボンの下を折るという所定の方法があった(イラストを参照のこと)。この方法では折り返し部分が内側から外側に折られている。
 兵士たちの間には彼らのガマシェンを無駄にし、彼らのウールの靴下の履き口をアンクルブーツの履き口まで下げるというヨーロッパのハイカーの習慣のようなものがあった。これは規則違反であり禁止されていたが、これが行われていたという写真の証拠とベテランの陳述もある。




 出典
- The Forgotten Soldier by Guy Sajer
- Uniforms and Traditions of the German Army, Vol. I by John Angolia
- Interview with Karl-Heinz Zimmermann, dated August 8, 1989
- Interview with Karl Anderssen, dated March 22, 1990

・忘れられた兵士 著者:Guy Sajer
・ドイツ陸軍の制服と伝統 第1巻 著者:John Angolia
・Karl Heinz Zimmermannとのインタビュー 1989年8月8日に実施
・Karl Anderssenとのインタビュー 1990年3月22日に実施

 これらのものは、Der Erste Zugの方々から許可を頂いて転載させていただいています。
自分の翻訳は非常に稚拙なため、英語が少しでも出来る方は原文のものを読んでみることをオススメします。
自分の訳では伝わらないことも、英語のものではニュアンスなどから読み取れることもあるかと思います。
また[ ]の中は自分がおそらく理解しやすくなるだろう、ということで付け加えたものです。
この記事に関して、分からないことや、意味が分からないことがありましたら、コメントして頂けたら、自分のような若輩者でも答えられるものには答えていきたいと思っています。


原文:米国のWebサイト Der Erste Zug
http://www.dererstezug.com/Gamaschen.htm




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Posted by ハルトマン at 03:48│Comments(0)翻訳文ー兵卒の物ー
 
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